iwayamarock’s diary

シンガーソングライター、岩山泰輔のその時思ったことを書いていくブログです。

Dog mob incidentの解散について その2

iwayamarock.hatenablog.jp

 

 前回の続きです。

 

 なんだろう、どうでもいいけど今猛烈に福井市のつけ麺屋の是空が食べたい。

 福井県民バンドマンの聖地といっても過言ではないのではないですかね。

前のバンドのケインとかもう週2、3で通ってる時期あったって言ってた気がするし。

あいつもう是空に住めばいいんじゃないかな。

 

 閑話休題

 

 前回の記事で「(最果テの解散という)1つ区切りを迎えた時点で、僕自身どこにどう向かえばいいのかわからなくなってしまって」という文章があったと思うんですけど。

 その前の文で「「次はロックで、ポップで、カジュアルで、流行的であり親しみやすい音が鳴っている」音楽をやりたい」っていってるやないかと自分で見返した時に思ったんですが、

 たぶんここで書かれている「どこにどう向かえばいいのかわからない」というのは、音楽的な表現意欲とはまた別の観点の話だな、とも思ったので、それについてこの記事では触れて掘り下げていこうと思います。

 

 僕は基本的には、百年残る音楽を作りたいと思っています。

 これは学生時代に読んでいたXJAPAN(以下X)の色々な関連書籍でバンドのリーダーのYOSHIKIさんが語る同様の台詞が、確実に自分の発想の原点になっていると思います。

 

 百年や千年の時がたっても、人々の記憶に残るような、受け継がれていくようなそんな曲を俺は作りたい。

 

 その想いがまずあって特に最果テは進んでいったのではないかと思います。

それが前の記事でも触れた、一曲に数か月も時間をかけて作っていった一番の理由であったのかなと。 

 

 ただ、じゃあ一体何が百年残る音楽足りえる要素となるのか。

 メロディなのかコードなのかアレンジなのか歌詞なのか。

それを考えた時に、やっぱり一番必要不可欠なものは上述の要素を表現するうえでの根拠たる、「実体験」なのではないかと僕は思っています。

 

 そのメロディが表現しているものは一体何なのか。

 そのコードが表現しているのものは一体何なのか。

 そのアレンジが表現しているものは一体何なのか

 その歌詞が表現しているものは一体何なのか。

 

 所詮どれだけ流行りもののサウンドを鳴らしたところで、その背景にある思いがサウンドとして結実していないと、人々の心を揺さぶり、音の記憶として刻み、後世に受け継がれることはないと思います。

 

 ましてや、その背景の思いがかりそめのものだったとして、そこにどれだけ作り手の情熱、念、感情が籠っているのかと思います。

 自分が本当に体験し、咀嚼して吐き出していったものにこそ、美しさも汚らわしさも全てが混然一体となって、凄まじいまでの密度や重さを表現できる力があると思います。

 

 それこそが百年残る音楽の重要な核なのではないかと思っています。

 

 ここで最初の「どこにどう向かえばいいのかわからない」という話に戻ると、サウンド的には「ロックで、ポップで、カジュアルで、流行的であり親しみやすい音が鳴っている」音楽を表現できるよう、自分の力量や技術力を高め、鍛え、よりクオリティの高いものを目指すことは出来るけれど、

その背景の思いたるテーマ、核が、ある種最果テの2018年の三月十日のラストライブで浄化されてしまって、なくなってしまったんですね。

 

 「見上げた先は暗闇」の状況下で「緋色の空」に思いを馳せて「俺の痛みを感じてみろ」と言えるだけのテーマ、理由が、あのラストライブで浄化され成仏してしまった。

 最果テの曲に込めたテーマが何だったのかという話はここでは省きますが、その核がなくなってしまった以上、一体何を込めて曲を作り、何を歌っていけばいいのかという思いが、DMIの最初は去来しまくっていた記憶があります。

 

 そのゴールを見失った感覚がある意味、初期のDMIの【上】を目指すという一見わかりやすいようで抽象的なゴールの設定を行った遠因でもあるのかなと今は思います。

 

今回もこのあたりで。