iwayamarock’s diary

シンガーソングライター、岩山泰輔のその時思ったことを書いていくブログです。

結局のところ最果テとはなんなのかを言語化しようとしてみた

いつもみたいな丁寧な前置きは今回ないのですが、ちょっと最果テのライングループで語った内容がすごくこのブログ向けな内容だなぁとメンバーも僕も思ったので、ハイパー雑にそのまんま掲載します。

恐らくまた後日解説として新しい文章を書き起こす、予定。

ではごゆるりとお読みください。

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『長文になるけど、最果テとはなんなのかを自分なりに言語化してみた

最果テを構成する要素とは何なのかに焦点を合わせて書こうと思う



俺土曜の話し合いからソロと最果テがどう違うのかずっと考えてたんだけど

やっぱ最果テはバンドというより俺の中で現象に近い

俺が最果テに込めてきたものってたぶん、
俺が小さい頃から見てきた仮面ライダーとか戦隊ものの巨大な逆境に立ち向かうヒーローを描いた特撮、
冒険と世界や大切な人を救う物語が詰まったアニメの感動、

そういうのを自分が置かれていた状況に重ね合わせて、文字通り世界を救うために自分の持つ全身全霊の力を込めて表現してきたんだと思う

それってすごいアニメ的、少年漫画的で、ともすれば世間にはくさいと言われて切り捨てられてしまうものだけど、二年前の俺はそれを絶対に馬鹿にされるわけにはいかなくて(自分の内なる希望を否定されるわけにはいかなくて)、

あんな今の俺がみても笑ってしまうくらい空回りしまくってでも自分の持つ表現を全部ぶちこんでたんだと思う

そういった果てない希望や夢を、それを現実でなそうとするときに伴う絶望や挫折のリアルも同じ密度でロックで表現する先駆者が、俺にとってLUNA SEAやXだった

だからたぶん初見の人には強くそれらのバンドの影響を感じさせるんだと思う

でもたしかにこれらはロックというフォーマットの中での表現に閉じ込めているけど、蓋を開けてみれば俺がそこにぶちこんでた要素はアニメや少年漫画の刹那的な熱さやそれらを構成する物語的、劇的手法だったり

他にも最果テの音楽があれだけの熱さと同時にリアリティを体現出来ていたのは、常に戦争や外交問題をより切実なレベルで抱えて、そういった現実の中でも人に響く歌を作ろうとする洋楽的なメンタリティも作用してると思ってる

そしてなによりもメンバーの人間性や音楽性が全く違うもの同士が惹かれあって紡がれる現実の物語が、まるでドキュメンタリーのように作用して上の要素の密度やリアリティを底上げしていたんだろうね

つまり最果テは、本来なら1つの要素を極めるだけでも生涯をかけなければならない表現の方法を、ロックというフォーマットに複数ぶちこんでいたんだと思うし、それが相対的に見て他のバンドやグループが薄くペラく見えた理由だったんじゃないかな

だからもうそれはバンドだとかっていうより、ロックをベースとした総合芸術に近い

ロックという音楽の単語だけで見れば極める必要があるのは音楽的素養や技術、それらを扱うマインドだけだろうし、実際それらが大抵の人々は特定のジャンル内で一定の平均のレベルに落ち着くから、対バンイベントっていうイベントが成り立つんだと思う

でも最果テは上記の通り、音楽単体だけではなく他に様々な要素を伴っているから、それが音楽とそれを映えさせるためのパフォーマンスのみを求められる対バンイベントには馴染めない理由であると共に、ラストワンマンのあの濃さの根拠になってるんじゃないかな

だから最果テをやるときは、俺は本当に汗水足らして空回りして10000度くらいの熱さの台詞で自分を奮い立たせないと最果テにはならない、少なくとも俺が受け持ってる最果テの役割は果たせないと思ってて
そうじゃないと最果テの秘めてるアニメや少年漫画の感動を体現できない、そのリアリティを維持できないからだと思ってるんだけど

でもそれはこうきやひさし、しょこくんみたいな正にアニメや少年漫画の中の仲間たちのような存在がいるから出来ることで

共に物語を紡いでいける奴が俺の爆走を受け止めてくれる、あるいは誰かが爆走しても誰かがそれを受け止めれるから成り立ってんだよね

そこが根本的に最果テと他の活動では違う
で、たぶん皆のやってる他の活動と最果テの違いもきっとそう

でも俺はある時から、最果テを構成する要素の全てを一つにねじ込んでまとめて出すのではなく、一つずつ分けて一つずつ極めようとしながら表現することにも同時に惹かれるようになった

そのときに出てくるのがソロと哥劇団なんだよね

ソロは最果テのバックボーンになっている洋楽のリアリティを、俺個人がよりマニアックに突き詰めたくなったときに必要だし
哥劇団は最果テの少年漫画やアニメの劇的手法によりフォーカスをあてて
掘り下げて追求するためには、文字通り劇団が必要だった

で、それらを運営するには最果テでのステージでの俺の役割と違う、ある種のプロデュース力やマネージメント力をより冷静に扱っていくことを求められるし、そうなると最果テとは全く違う視点でソロや哥劇団を運営していく必要性がある

だから、どうしても俺の中で全然最果テとソロや哥劇団を同次元に見れない

でも個人的には、すごい今は好循環なルーティンを生きてる実感がある
最果テと平行してソロと哥劇団があって、ソロと哥劇団で一つずつ会得したノウハウや技術をそっくりそのまま最果テに全部ぶちこんで還元できる

これが最果テ一個だけをやっていた場合、もしかしたら俺はこうきやひさしやしょこくんに演劇の芝居をすることを求めるようになるかもしれないし、
洋楽のノウハウを会得するためにU2Slipknotのものまねを他の三人に求めるようになるかもしれない

それって最果テの秘めた本質を見つめてみたら絶対に間違ってるし、誰もそんなもんは求めてないのは明白だと思う
それじゃほんとの意味でアニメや少年漫画や特撮の「ごっこ」になっちゃうよね

ただ劇的な演出をやって洋楽っぽいことをやれば最果テになるのではなく、根本にあるのはクリエイターの先達らが自ら作ってきたアニメや漫画や特撮や映画に込めてきた「祈り」「願い」「希望」「夢」を体現できるから最果テになる』

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