iwayamarock’s diary

シンガーソングライター、岩山泰輔のその時思ったことを書いていくブログです。

僕とBUCK-TICKと水曜どうでしょうの話

春の到来の香りがしますね。
朝を目を覚まして、外に出たときのあの妙に陽気な感じ。
夕方と共に不思議でどこか懐かしいようななんとも言えない空気感がやって来て、真夏の騒々しさとも真冬の静けさとも違う、まさにこれから新しい季節が巡り始めるような予感を感じさせる季節でございます。
岩山泰輔です。

ポエムポエムポエムポエム。

歌詞ならともかくいざこう人目にシラフで触れられることを意識するとなんともストレンジな言語感覚になってきます。
岩山泰輔でございます。

今週ブログの更新の頻度が高いですね。
春だからです。

それではさくっと謎の見出しであり今回のテーマについてお話しましょう。
今回のテーマは「BUCK-TICK水曜どうでしょう」についてです。
「急にどっからその単語出してきたんだ」ですって?
まあまあまあ。


BUCK-TICKに触れるようになった近況●

最近、僕のプレイリストの中でBUCK-TICKに触れることが多くなりました。これを書いている直前にも、BUCK-TICKの「memento mori」というアルバムを一巡聴いたばかりでございます。
一応趣味としても教養としても、出来るだけそれまで聴いたことのない音楽に毎日何かしら触れるよう習慣付けているのですが、何となくここ最近興味をそそっていたのがBUCK-TICKさんだったわけです。

実は僕が高校生の時にもLUNA SEADIR EN GREYからルーツを掘り起こして聴く過程でBUCK-TICKにもちょっと触れてはいたんですね。
ところが、たまに琴線に触れる曲はあれどLUNA SEAやDIRほどの吸引力はあまり当時の自分には感じられなくて。

なぜそんな自分が今になって妙にBUCK-TICKに興味を持っているのかを確かめるべく、試しにYouTubeの公式アカウントに載っていた「Just one more kiss」と「スピード」のPVを再生してみたんですが。



そしたら、すげえかっこいいの。



●異界の存在が現れたぞ●

まずその時最初に惹き付けられたのがやっぱりボーカル櫻井敦司さんのビジュアルと歌唱ですね。
どうなってんだろう、人間なのかな?魔族とかじゃないのかな?とこの時本気で思いました。

僕のロック原体験は間違いなくLUNA SEAとXだったんですが、彼らの表現には気合いという、「人の意思の力」といいますか全身全霊全力で自らの美学を音でも歌詞でもビジュアルでも表現しようといういわば自意識の塊のインパクトが詰め込まれていて。

逆に言えばそれだけ「うおおおおお」という努力や鍛練の気配を感じさせる、「作り込まれたもの」を感じさせるものがあったゆえにあくまで「凄い【人】達だなぁ」という感想が僕の中から出てきて。

しかしBUCK-TICKの櫻井さんはというと、ビジュアルも歌唱も何もかもいい意味でナチュラルといいますか、わざわざ演出する必要もないくらい自然体で異様だからこそ、妙なリアリティを持って「本当は魔族なんじゃないの?」と思わせられるような説得力を放っていたような気がするんですね。


SF映画の中での特殊な設定って、リアリティを追求するほどそこまで過剰に演出して見せないじゃないですか。
例えばガンダムとかって自然に兵器としてモビルスーツっていう設定でロボットを作品に登場させるけども、別にガンダムを「太古の昔に産み出された伝説の巨人」みたいな感じでは見せないですよね。ああいう感じ。
(ガンダムファンの方へフォローをいれるとあくまで宇宙世紀ものとかの雰囲気でいうとですよ。)


ナチュラルに変●


それで次に見入ったのがギターの今井寿さん、そして彼のギターを筆頭に繰り出される何か独特の個性を感じさせるバンドサウンドでした。
それでまたまた不思議に思ったのが、なんとなくそれらが独特な塩梅で変なんですよね。

大体同世代の方々で括られる、
LUNA SEAのような一目で分かる斬新さと邦楽ロック王道の快感原則の合体でもなく、
DIR EN GREYのような凶暴で骨太な音の中へ落とし混む和の摩訶不思議さでもなく、

ここでもというか、ただただナチュラルに変なんです。
まるでただ自然に自分達の王道を表現しているだけなのに勝手に不思議な部分がついてきてるような。
一聴してすぐ分かるというより、冷静に聴いてみるとなんだか変だぞっていう感じなんです。
ただあまりにもナチュラルにそれを表現してるが故にそれに気付きにくいというか。

同じくギターの星野さんやベースの樋口さんにドラムのヤガミトールさんはすごく堅実かつ説得力のあるバンドサウンドを鳴らしている中、ふわ~っと漂うような今井さんの弾くシンセやギターと堂々たる魔族の櫻井さんが現れたその瞬間に、「なんかこの音楽に変だ!」と突きつけられるんです。


そしてこのバンドメンバーから滲み出てくる「ストレンジな自然体」が、妙に落ち着くと同時にここ最近の僕をBUCK-TICKに引き寄せていた理由だったんだと思ったんですね。

気付けば、どんどんアルバムを掘り起こし、バンドにまつわるあらゆる情報やネタを掘り起こし、その中で見つける不思議な魅力に衝撃を受けていく自分がおりました。



水曜どうでしょう「ここをキャンプ地とする」●

そうして僕がBUCK-TICKの扉に吸い込まれるのと同じ頃。
先日新作の水曜どうでしょうがオンエアされましたね。僕は残念ながらテレビ放送の方を見れなくて、ずっと過去作の企画の方を見まくっていたのですが、ここしばらくの間で僕はすっかり水曜どうでしょうにはまってしまいました。
きっかけは恐らく数日前、YouTubeに上がっていた公式アカウントの名場面集の動画を見たことです。

2002年のレギュラー放送からたまーに新作を発表するようになったどうでしょうの、多分新作オンエア記念にピックアップされ投稿された動画だったんでしょう。
YouTubeの「あなたへのおすすめ」に1つその動画が出てきて、「そういやどうでしょうちゃんと見たことないな」と興味本意でクリックしたわたし。

動画を再生してからすぐに飛び込んできたのは、真っ暗な夜の闇の中、道端でわずかに車の外装がちらつくと共に図太い声で聞こえた以下の台詞でした。


「おい!このバカヤロー。いいか。よく聞け」

「ここをキャンプ地とする」

直後、聞こえてきた男達の爆笑につられて自分の頬もゆっくり緩んでいった覚えがあります。

これが僕の水曜どうでしょうファーストコンタクトでした。


●自分の中で覆された大泉洋さんのイメージ●


ざっくりと番組と出演される方々をご紹介すると、
著名なドラマや映画に数多く出演されている俳優の大泉洋さん、北海道のテレビ局を中心に活躍されている通称「ミスター」鈴井貴之さん、画面には基本出てこないもののひたすら大泉さんと舌戦を繰り広げる藤村ディレクター、たまに呟く台詞が光るメインカメラマン嬉野ディレクターの4名(通称どうでしょう班)で構成されているこの番組。

元々北海道のローカル番組から始まったというこの番組は、ひたすら藤村ディレクターの欲望のままに行きたい場所をピックアップし、他3名のタレントさんとディレクターさんがひたすらそれに付き合って旅をする模様を延々と撮り続けるというこの内容になっております。(あまり間違ってはいないはず。)


それでその旅の模様というのが、延々と上述の会話を繰り返すような脱力感と、笑いの神が気まぐれに現れるかのようなタイミングのよさでおよそ一話24分間続く内容になっています。


僕は大泉洋さんというと、あまり自分が見たことのない映画やドラマで出演されてる「どうやらすごく人気なスター俳優なんだな」という以外には正直あまり印象が薄く、まともに大泉さんが出演されている番組を見るのはどうでしょうが初めてで。

一番最近のイメージでも、なにやらラグビーのドラマに出てる大泉さんの姿で止まっていた僕は、なんとなく「ちゃんと決めるときに決めるが基本トークでしゃべくりまくる感じの俳優さん」というところに落ち着いていたのですけども。
ひたすらどうでしょうの他の名場面集で、周囲にしっちゃかめっちゃかしながら言葉をまくし立てる大泉さんを見て、久しぶりにめちゃくちゃ笑っていました。




●タレント地のキャラで進行する馬鹿馬鹿しさの快感●

分からないんですけど、どうでしょうを見ているとここ一番というところでどわっと笑うというより、ずっとにやにやしながら一定のスパンで小規模な笑いの爆発を浴び続ける感覚があるんですよね。
だから何も考えずに見れるというか、ぎゃははと笑い続けて気付けば最後まで見終わってる感じで。

あえて言語に置き換えるとするなら、

これは多分番組自体が最低限の余白を確保しつつ、ざっくりとした大枠に向かってあまり深く練らずにぐだぐだしつつ勢いで進行していく中で、タレントさんが素のまんまで突っ走っているから。

みたいになるんでしょうけども。
そう言葉にすることすら馬鹿馬鹿しく思えるくらい無心で自然に見て笑えるんですよね。

だって画面外の、本来ならジェスチャーなどで進行をタレントさんに指示して管理するであろうディレクターさんが、率先して誰よりもしゃべりまくってタレントさんにツッコミまくって状況をわちゃわちゃにしていくんですもん。

で、その状況を一身に背負うミスターこと鈴井さんと大泉さんの両タレントさんが、これまた反論し愚痴を吐きながら無茶振りにわちゃわちゃし、それに対してもまたディレクターさんが無茶振りを投げ込んでいくという、止まらない軽快なキャッチボールを番組の間終始見ているようで。

しかしそうやって顔を出すアナーキーさが本当に作為を感じさせないんです。計画とか構築とかとは無縁で、なんならカブで西日本を巡る旅のゴールも「元々のゴール地には温泉がないから」という理由で最後の最後で別の場所に変わって。
だから出演する人の誰もがリラックスという言葉を出すまでもなくただただ地でわちゃわちゃする。
そして目的地になんとかたどり着いて、「またこの面子で旅がしたいですね」で締める。

番組の進行的に似たようなスタイルですと多分「イッテQ!」とかも近いのかもしれません。でもどうでしょうに関して、個人的にはなによりここまで無心で見れるっていうのは新鮮だったんです。
 


●両方の存在に感じた自然体の魅力●

ここでBUCK-TICK水曜どうでしょうを並べてみて感じるのは、やはり自然体だからこそ出せる魅力があるんだなということでした。

僕の場合これまでの表現活動において「構築しまくってから破壊する」という過程が好きで、ある種のフェチすらあった気がするんですが、それもあくまで「とりあえず何かしら頭を捻って美意識を高く構築しないと始まらない」という前提が無意識に必ずあった気がしていて。

だけどそもそもこの両者の場合、もっと軽快なんです。深く色々なものを抱え込みすぎない軽快さがすごく心地よくて。そこでぱっと繰り出される異端さやアナーキーさがオリジナリティを彩るのに、決して力みが見えないその姿勢に今はすごく興味を感じています。

それでBUCK-TICKの音源を聴いててなんとなく思ったのが、例えばBUCK-TICKLUNA SEADIR EN GREY三者三様に料理を作るとなった場合の風景がぱっと浮かんだんですね。

僕の勝手なイメージですが、LUNA SEAはひたすら真面目に必要な分だけのカロリーと必要な栄養素を最も合理的に揃えた料理を並べて、アスリートよろしく「これでまた体を作るぞ」とかっ食らっていき。

DIR EN GREYだと食卓についた瞬間、よく見れば料理が全て蟲に埋め尽くされていて「こんなもんやってられっか」と全部皿をひっくり返すような。

だけどBUCK-TICKの時だけ、作っている人達は不思議で魔族のような姿をしているんだけど、美味しいお酒と料理がどんどん並んでいくような風景を連想するんです。

その力の抜き具合というか、自然で上質なものの中身に垣間見える個性が優しく聴きやすくて。


●地が個性的ならそれでいいじゃん●

BUCK-TICKの場合、他2バンドほどでかいものを無理に背負っていない感じがするんです。
宇宙を変えようとするほどの大望を背負ってもいなければ、音楽や自分達のやることを見下げてもいない。

水曜どうでしょうにしたって、ローカル番組からあれだけメジャーな知名度を誇る番組になって、それでも全然あの脱力感とぐだぐだ感が変わってないのは本当に凄いなと思って。

どちらもただ自然に自分達の中から出てくるものを並べて、だけど締めるところはきっちり締める。
毎日楽しくやってどこが悪いのよ、っていう。

緩やかで、それでも確かな衝撃を僕は感じました。
「あ、こういうやり方もあるんだな」って。

死力を尽くして自壊しそうになりながら、自分の全てを賭けて毎回爆走することを己に課さなくても、それだけが全てでもなく。
そういうことを経験した上で、もっと自然に自分の不思議なところをぱっと出していくことだって出来るんだな、みたいな。


●一番自分に合うと思った道を歩いていこうか●

多分この感覚は、これからの僕の音楽活動や生活そのものにも大きな影響を与える気がしています。
まだまだ前人未到、そんな道を歩いていきたいという気持ちは変わりませんが、自分に自然とフィットするなぁって思った道をこれからも歩んでいきたいですね。
思うようにならないこのご時世。
楽しんで生きて進んでいきましょう。



とりあえず、温泉にいきてえ。


では、また。


岩山泰輔