iwayamarock’s diary

シンガーソングライター、岩山泰輔のその時思ったことを書いていくブログです。

Dog mob incidentの解散について

  

 思えば去年の三月、前のバンド最果テが解散して、その一か月後にスタートしたバンドがDMIでした。

 このバンドはドラムの正光君が中心となって僕を含めた生楽器のメンバーを集め、昔からの友達でもあったDJのMI-NOXを僕が最後に誘って結成されたバンドでもありました。

 

 ここからは、DMI結成当時僕が思っていたことを列挙していこうと思います。

 最果テからDMIを聴いた方や、DMIから初めて僕らの音楽を聴くようになった方に、少しでも背景が伝わればと思います。

 

 

 このバンドを始めた最初にまず掲げた目標が、「とにかくひたすら【上】へ行く」ことだったと記憶しています。

 何をもって【上】とするのか、じゃあ【下】はあんのか、どういうことなんだとも思うのですが、とにかく当時のバンドメンバーと話していた会話には頻繁に【上】というワードが飛び交っていたように思います。

 

 僕自身、最果テが二年の活動を終えて解散してしまい、ほかのメンバーのように県外へ活動拠点をすぐに帰る気にもなれず、「あくまで福井に拠点を置く中でちゃんと勝負ができるバンドがやりたい」というのが当時の僕の思いでした。

 

 もともとは、最果テが解散した直後には、そのままソロをやっていこうということも考えていたんですね。

 そして正直、DMIはあくまでバンドを楽しむという感覚で加入していました。

 この時点ではまだ【上】にいこうという意識ではなかったんですね。

 

 音楽的な話をすると、最果テというバンドは今振り返ればジャンル的にはヴィジュアル系とハードロックとJPOPとエモやポストハードコアの音楽性や精神性を、メンバーそれぞれの感性で極限を目指して自分たちなりに合体させつつ昇華しようとしたバンドだったと思います。

 

 ただ最果テをやっていた二年間で、自分のルーツとしては圧倒的にXJAPANやLUNA SEAなどの九十年代ヴィジュアル系の存在感が強いことを思い知らされ、音楽のチャートやこれから盛り上がりを見せていくポップミュージックの中でそのルーツだけを武器にやっていくには、客観的には時代からかけ離れすぎてしまっているなとも、解散をした2018年の三月は思っていたんですね。

 

 そして最果テの頃は、僕の楽曲や世界観に対するこだわりが今振り返っても尋常ではなく、一曲に三か月か半年間もの時間をかけてメロディやコードやアレンジや歌詞を作っていました。(これは当時のバンドメンバーがいろんな場面で散々ネタにしている僕の当時の奇行の1つですね。)

 最初の頃とか、歌詞がどうしても納得できないLet me goを全部でたらめの英語でライブで歌ってたな…。

 そのこだわりが、今でも最果テの楽曲や歌詞を愛してくれている人たちがいるゆえんだとも思えるのですが、いかんせん職業作曲家やミュージシャンとしてはあまりに不器用すぎるとも思っていました。

 

 それらの前提の上で、僕は最果テの次にやる音楽は「ロックで、ポップで、カジュアルで、流行的であり親しみやすい音が鳴っている」音楽をやりたいと思っていました。

 

 

 でもじゃあソロの音源を作ろう!となったとき、全く1人でステージで演奏する曲のイメージが浮かんでこなかったんですよね。

 やっぱり俺はバンドが好きで音楽にはまっていったんだなあというか、やっぱり頭の中で鳴る音像は「生ドラムで、ベースも弾かれてて、ロックギターで、シンセも鳴ってて」っていう音で。

 当時は確かアリアナグランデをすごく聴いていたんですけど、それを参考にデジタルな音でソロの音源を作ろうにも、頭の中で鳴る音は完全にLinkin parkやBring me the horizonのそれで、ソロの作曲が止まってしまって。

 しかもその時に他にはまったのがRage against the machineだったしな・・・。

 

 そういう状況でDMIじゃあ何をしようかという話を並行して進めていた時に、ギターのかっちゃんが当時すごくテンションを上げてほかのメンバーに力説していたことがあって。

 「やるからには俺らは上に行くんだ」「絶対にやるんだ」と、凄いエネルギーをもって僕らに自分のやりたいことを語ってくれて。

 最果テが終わった時点で、僕の中の確固たる美学というか「絶対にやる。俺は必ず出来る」というような思いやモチベーションはかなり落ち着いてしまって、

 

というより1つ区切りを迎えた時点で、僕自身どこにどう向かえばいいのかわからくなってしまって。

 

 だからかっちゃんのその想いが僕にはとても眩しく、熱いものに思えたんですね。

と同時に懐かしくて「ああ、俺最果テを始めた時こういう想いを持ってバンドをやろうとしてたよな」と、語弊はあるかもしれませんが自分の前の姿を思い出すような感覚になって。

 そうやってかっちゃんの思いを聞いてるうちに、DMIに本気で取り組んでみよう、自分の力を今熱いものを持っている人に使ってもらおうという思いが強くなっていって。

 それから六月の響のホールのロックオンや自主企画へと向かっていきました。

 

 一回落ち着きたい人もいると思うので、続きは分けて書きますね。